山形テレビ開局50周年・琉球朝日放送開局25周年記念番組 最後の米沢藩主 上杉茂憲 沖縄の民のため「義」を貫いた男

上杉茂憲 戦国時代 越後の龍の異名をとった謙信の流れをくみ江戸時代屈指の名君 鷹山を中興の祖と仰ぐ名門 米沢藩・上杉家。その最後の藩主は山形の地から遠く離れた沖縄で民のために義を貫いた人物でした。

出演

俳優 眞島 秀和

番組ナビゲーター 俳優 眞島 秀和

上杉の城下町・米沢市生まれ。
県内有数の進学校で上杉家の藩校「興譲館」を引き継いだ県立米沢興譲館高校出身。
現在数多くの映画・ドラマ等で活躍。

小説家 童門 冬二

小説家 童門 冬二

「小説・上杉鷹山」など上杉家の著書が多い。現在92歳。茂憲の想いを、渾身の洞察力で語った。

「小説・上杉鷹山」など上杉家の著書が多い。
現在92歳。茂憲の想いを、渾身の洞察力で語った。

直木賞作家 高橋 義夫

直木賞作家 高橋 義夫

10年近い歳月をかけ、上杉茂憲の資料を調べ「沖縄の殿様 最後の米沢藩主・上杉茂憲の県令奮闘記」を書き上げた。

10年近い歳月をかけ、上杉茂憲の資料を調べ「沖縄の殿様 最後の米沢藩主・上杉茂憲の県令奮闘記」を書き上げた。

番組内容

戦争で多くの記録を無くした沖縄で見つけた茂憲の痕跡とは?

琉球処分から日が浅い沖縄に県令として赴いた茂憲。
宮古・石垣両島まで及んだ視察で目撃したのは、困窮にあえぐ庶民の姿でした。

再三の改革意見は政府から黙殺され、茂憲は志半ばで解任されます。
ですが、情熱を傾けた人材教育は後年になって実を結びます。

家族を連れ、沖縄に尽くそうと決意した男の
2年にわたる奮闘の記録を、ゆかりの人々を訪ね紹介していきます。
上杉茂憲の奮闘の記録を描いた「沖縄の殿様」(中公新書)著者 高橋義夫が、
茂憲所縁の地、沖縄を訪ねました。

雪国生まれの殿様が、なぜ沖縄に行き、何を成したのか?

上杉の城下町・米沢市にある国指定の史跡、上杉家廟所。謙信の命日に歴代藩主をお参りする多くの市民の姿がみられます。

上杉の城下町・米沢市にある国指定の史跡、上杉家廟所。
謙信の命日に歴代藩主をお参りする多くの市民の姿がみられます。

上杉家廟所には上杉謙信・景勝・鷹山など11代までの藩主の霊廟があり、これに並んで最後の藩主、茂憲の記念碑が建っています。記念碑には茂憲の髪が納められていて、今も、はるばる米沢に足を運びお参りする沖縄県民がいます。

元沖縄県知事で沖縄県経営者協会会長も務めた
稲嶺惠一氏が上杉茂憲の功績を語ります。

上杉家17代当主・上杉邦憲さん。
曾祖父となる上杉茂憲の遺言を初公開。

上杉茂憲が貫いた教育への情熱

上杉茂憲が東京に留学させた学生たち
「激動の記録 那覇百年のあゆみ」より

上杉茂憲が東京に留学させた学生たち。
その後沖縄に戻り沖縄最初の新聞「琉球新報」創設、
「沖縄銀行」設立などの他、那覇市長・首里市長・沖縄県最初の衆議院選挙で議員になった者など、政財界で活躍しました。

謝花昇(じゃはなのぼる)
八重瀬町立具志頭歴史民俗資料館収蔵

留学生の中には、沖縄自由民権運動の父
「謝花昇(じゃはなのぼる)」もいた。

上杉茂憲が私費で東京に留学させた少年の子孫

上杉茂憲が私費で東京に留学させた少年の子孫は
現在弁護士として、沖縄県で活躍中。